福井晴敏の「終戦のローレライIV」(講談社文庫)を読了しました。
ついに伊507は,日本の首都・東京を目標とした第三の原子爆弾投下を阻止するため,最後の戦いへ孤立無援で赴く。終戦という転換点で伊507の乗員,第三の原子爆弾を画策した日本人は何を思うのか。
「終戦のローレライIV」は第五章,終章で構成されており,ついに完結します。 裏表紙には,“畢生の大作”とありますが,作者はどんな思いでこの作品を描いたのでしょうか。
歴史の転換点である終戦に焦点を定め,様々な考えを持った人たちの姿や人間模様を描くことで,現代の日本を逆照射できるのではないか
と日本経済新聞2002年12月22日付の談話で語っているそうです。確かに終章では現代の日本の現況を憂うような描写がいくつかあります。
果たして,終戦は現代の日本にとってどんな意味があったのか。 万博景気でピークを迎えた高度経済成長は,あのテーマソングを葬送曲にして終焉へと向かった。成長を支えた“猛烈”サラリーマンたちは,企業を巨大化させる代償に家庭内での地位を失い,ノイローゼと各種の職業病が世に蔓延した。光化学スモッグやヘドロは無視できない量に達し,左翼闘争の敗北で理想を語る虚しさだけを学んだ若者たちは,青臭い厭世観をシラケという言葉に変えてファッションにした。このファッションはいつしか体に染みつき,社会に参画することを嫌う心性を育てて,後に痴呆とオタクに二分されるような若者観の素地になった。
亡国のイージスへと続いていくテーマと言えます。国を憂う心を失いつつある日本人,これから日本はどうなるのでしょうか。